Perfumeメドレー

話題のPerfume(パフューム)のメドレーを作ってみました。
メンバー
大本彩乃(おおもと あやの)、愛称「のっち」
樫野有香(かしの ゆか)、愛称「かしゆか」
西脇綾香(にしわき あやか)、愛称「あ〜ちゃん」
愛称は公式サイト、PVで使用されており、公式の名前として認識されている。

リーダーはおらず、立ち位置や曲の際のセンターポジションは固定されていない。1曲の間にも3人の立ち位置は変わる。ただしトークなどの場合は西脇がセンターに立つことが多い。

[編集] グループ名
Perfumeとは英語で香水の意で、結成時のメンバーが西脇綾香・樫野有香・河島佑香と、全員の名前に「香」の文字が入っていたことにちなむ。当初はぱふゅ〜むまたはぱふゅ→むとひらがな表記だったが、これは「売れるグループ名は画数が13画」という都市伝説にあやかったものである。メンバーが憧れたSPEEDも13画であり、西脇は「SPEEDさんにあやかって13画にした」と語ることもある。

その後2003年春に上京してアミューズに所属した後にアルファベット表記に改められた[1]。ただ、後に加入した大本彩乃の名前には「香」の文字が無いこともあってか、現在ではグループ名の由来を「香りは人の気持ちを和ませたり、楽しい気持ちにさせたりできるので、私たちもそういう存在になりたいという気持ちを込めて、英語で香水を意味するPerfumeというグループ名にした」と説明することが多い。西脇はこの説明が「ま、後付けなんですけど」と述べている[2]。

[編集] 来歴

[編集] 広島・ローカルアイドル時代
2000年春 – テレビ新広島が運営するアクターズスクール広島(ASH)に入学した第1期生である西脇綾香・樫野有香・河島佑香が、スクール内ユニット「ぱふゅ〜む」として自発的に結成した。結成後まもなく河島が離脱。河島は「Risky[3]」を経てYuka名義でソロ活動。
2001年夏 – 大本彩乃が加入し、現在のメンバー構成となる[4]。経緯については大本彩乃の項目を参照。
2002年3月 – アクターズスクール広島「もみじレーベル」より『OMAJINAI★ペロリ』でインディーズデビュー。広島限定のローカルアイドルとして活動。当時の楽曲はパッパラー河合プロデュースによる典型的なアイドル歌謡だった。
活動はCDショップでのインストアライヴやショッピングセンターのイベント、広島フラワーフェスティバル、福山ばら祭出演他、区民まつり、商店街の盆踊り大会等。広島時代の最後のテレビ出演は、住宅展示場でのハーブの寄せ植え&マグロの解体ショーであった[5]。

[編集] 東京・インディーズ時代
2003年春 – 中学3年生になると同時に上京し、アクターズスクール広島と業務提携している芸能事務所アミューズに所属。傘下の新人女性タレント育成プロジェクトBEE-HIVEの一員となり、表記を「ぱふゅ〜む」から「Perfume」へ改める。
2003年8月 – Perfumeとしての最初のシングル『スウィートドーナッツ』をBEE-HIVE レコードよりリリース。サウンドプロデューサーに capsule の中田ヤスタカを迎え、広島時代とは全く異なるテクノポップ路線に転換する。なお、インディーズ期は、全楽曲を木の子が作詞している。
2004年8月、「Cutie Pop Union ’04 〜Summer〜」出演。テルミンやシンセドラム、ヴォコーダーなどの演奏に挑戦した。
2004年9月 – シングル『ビタミンドロップ』をリリース。同曲におけるアイドルを自嘲したとも解釈できる歌詞が、一部で話題になった。なお同曲をCMソングとした任天堂発売のゲームボーイアドバンス用ソフト「伝説のスタフィー3」のテーマソングも歌っている(音源未発売)。以後、アイドルの登竜門として知られるサンストリート亀戸への頻繁な出演や、秋葉原での路上ライブで経験を積みながら多様な試みに取り組む。
2005年夏 – 「打ち水大作戦!2005」出演にあわせて、「元祖アキバの女王」こと桃井はるこプロデュース作品『アキハバラブ』に参加[6][7]。その一方で、RHYMESTER宇多丸や掟ポルシェらによる日本語DJ集団「申し訳ナイタズ」とたびたび競演していた。
2005年8月 – クラブイベント「J-POP Union vol.2」では、DJ として登場した大本が『ジューシーフレグランス』をプレイした。

[編集] 東京・メジャー時代
2005年
9月 – 『リニアモーターガール』でメジャーデビュー。インディーズ時代のカラフルな衣装から一転し、PVでは黒を基調とした衣装へ変化。この時から「近未来型テクノポップユニット」を名乗るようになる。『リニアモーターガール』のPVは映画『フィフス・エレメント』がモチーフといわれる。インディーズ時代は『レトロなテクノ』路線だったのでカラフルなワンピースを着ていたが、メジャーデビュー以降は『近未来』をイメージしたテクノになり、衣装も黒いコスチューム風のものを着るようになった[8]。
2006年
1月 – 『コンピューターシティ』をリリース。初めて中田ヤスタカが作詞を手がけ、以後全楽曲の作詞作曲を担当する。
8月 – 1stアルバム『Perfume〜Complete Best〜』をリリース。
12月 – 『Twinkle Snow Powdery Snow』をネット配信限定でリリース。mora winで5日間連続売り上げ1位を記録した。この頃からファンの手で動画共有サイトYouTubeなどにPerfumeの動画が投稿され、大量に視聴される。『QuickJapan』 70号 p.173に掲載のインタビュー時点では、本人たちは状況を把握していなかった模様。
イベント「RHYTHM OF FEAR」にゲスト出演。本格的なヒップホップダンスを踊って観客を驚かせた。
2007年
3月28日から4週にわたって、木村カエラのラジオ番組「OH! MY RADIO」において、Perfumeの楽曲がヘビーローテーションされた。この放送を聞いていたCMディレクターの耳に留まり、後にCMキャラクターへ起用されることとなる。
初の完全ワンマンライブ「ひこぼし☆募集中」(代官山UNIT)のチケットは即日完売。追加公演が決定。
7月1日 – Perfumeのメンバーが出演し楽曲『ポリリズム』が流れる公共広告機構(AC)・NHK共同の環境・リサイクルキャンペーンCM「リサイクルマークがECOマーク。」の放映が始まる。視聴者からの問い合わせが殺到し、全国的に名を広めることとなった[9]。CMはPerfume起用決定後に楽曲のサビが製作された。
7月11日 – アルバムが発売5か月後(初回盤発売からは11か月後)にして Amazon.co.jp の売り上げランキング1位を記録する。この頃ニコニコ動画などにアイドル育成ゲーム「THE IDOLM@STER」の映像と Perfume の楽曲を組み合わせた動画が投稿されて人気を集めたことが、新たなファン獲得につながったとの見方もある[10]。
8月 – 日本の代表的ロックフェスティバルの一つサマーソニックにアイドルとして異例の出演を果たし、大阪会場DANCE STAGEのオープニングアクトを務める。
9月 – 『ポリリズム』リリース。オリコン週間チャートで7位、日間では4位を獲得。
10月から11月にかけて – 名古屋・大阪・広島・東京で公演する。
10月12日 – ヴィレッジヴァンガード下北沢店で初の女性限定イベントを行った。
12月 – COUNTDOWN JAPAN東京・大阪両会場に出演。
12月31日 – Zepp Tokyoにて年越しカウントダウンライブをワンマン開催。急遽決定した公演であり告知から開催まで一か月という短期間だったが、約2700人収容の会場はほぼ満員となった。
2008年
1月 – 『Baby cruising Love/マカロニ』をリリース。オリコン週間チャートで3位、日間では2位まで上昇。同時期にアルバムも発売一年後にしてオリコン最高順位を更新(1月28日付)し、また初回盤と通常盤をあわせた出荷枚数が10万枚を突破。2008年1月度付で日本レコード協会よりゴールドディスクとして認定された。
2月14日 – ファンクラブ「P.T.A.(Perfume TO ANATA)」発足。メンバー自身も入会しており、会員番号はあ〜ちゃん1番、のっち2番、かしゆか3番である。当初あ〜ちゃん215番(誕生日に由来)のっち920番(誕生日に由来)かしゆか13番(「13って好きなんよ」)と発表されたが諸般の事情で変更された(2007年12月31日・2008年2月13日ライブMC)。
4月16日 – アルバム『GAME』を発売。発売初週のオリコンアルバムウイークリー(週間)チャートで1位を獲得[11]。
4月27日 – Perfume First Tour「GAME」が大阪のZepp Osakaにて開始。その場で、11月6日と7日の両日に日本武道館で2days ワンマンライブを行うことが発表された。

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